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東京高等裁判所 昭和56年(く)234号 決定

少年 S・Z(昭三九・八・二四生)

主文

原決定を取り消す。

本件を静岡家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は、申立人が提出した抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一事実誤認の主張について

論旨は要するに、原決定は「少年は、昭和五六年四月二七日午後七時五分ころ、静岡市○○××番地の××地先道路において普通自転車を運転し、○○方面から○○方面に向けて道路左側端付近を五段変速ギヤの五段位置で進行中、ハンドルが低くサドルが高かつたことから視線が下り進路直近のみを注視した状態であつたことから進路前方に対する注視を怠つた重大な過失により、道路右側端を対面歩行中のA(当六二年)を至近距離に認め避譲措置をとるも及ばず自車前部を同人に衝突させて転倒せしめ頭部骨折、脳挫創、胸椎第一骨折等の傷害を負わせ、昭和五六年四月二八日午前五時〇分ころ、静岡市○○××番地の同人宅において気管支内閉塞により窒息死させたものである」との非行事実を認定しているが、(1)少年は、常に進路前方一五ないし二〇メートルの地点を注視しながら約一〇キロメートル毎時の速度で本件自転車を進行させて本件事故現場付近に差しかかつたところ、被害者が突然右側車道部分から跳ね飛ばされたような形で進路前方に現われてその顔付近が空中から舞つてふるように突如として少年の右頬に激突したため少年は自車もろとも転倒したのであつて、少年には本件事故について何ら責めらるべき過失がないこと、(2)被害者が本件事故当時道路右側端を普通のように対面歩行していたことを窺わせる証拠はなく、原決定はBらの信用性に乏しい断片的な供述に基づき単なる推測によつて右事実を認定しているに過ぎないことに加え、関係証拠によれば、本件事故を目撃したパトロールカーの運転手であるCは、自己の進行方向の約五〇メートル前方の道路右側で人が急に宙に舞い上るようになつて自転車と共に転倒したところを現認しており、また本件事故現場付近にいたDはドカーンというような衝突音を聞いており、これらの事実によれば激しい衝突があつたことが窺われるにもかかわらず、本件自転車には殆ど損害箇所がないこと、対面歩行者と自転車の通例の衝突事故に比べ被害者の負傷の程度が著しく重いことを併せ考えると、本件事故前に他の自動車が車道部分でふらついていた被害者を跳ね飛ばした確率も高いこと、(3)原審裁判官は、少年及び実母S・S子の言い分を全く聞こうとせず、僅か三〇分間審理したのみで直ちに原決定を告知しているのであつて、十分な審理が行われたとはいえないこと、以上の諸点に照らし、少年の本件非行事実を認定した原決定には重大な事実誤認がある、というのである。

しかしながら、原審記録を調査し当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、関係証拠によれば、原決定の非行事実は優に肯認するに足り、原決定には所論の指摘する事実誤認を認めることはできない。以下所論にかんがみ若干付言する。

まず本件各証拠の信用性等に関する上記(2)について検討すると、所論は、本件事故の目撃者であるBの司法警察員面前調書について、捜査官の誘導によるものとみられる供述箇所が多く信用性に乏しい旨主張するが、Bの供述内容は、本件当日午後七時ころ事故現場西側道路脇にある自宅玄関前にいたところ、道路手前(西)側端の白線(路側線)から約五、六〇センチメートル車道部分を○○方向からふらふら歩いて来る被害者を見かけ、同人は近所では酔つ払いとの風評があるのでその来訪を避けようとして自宅玄関の引戸を後手で閉め、引き続いて玄関前で同人を見たとたん、何かが同人に衝突し、双方倒れたのを見てすぐそれが少年の運転する自転車だと分つた、Aはそれ以前に他の自動車などに衝突したり、その後他の車に轢かれてはいない旨本件事故直前に被害者を見かけてから本件事故を現認するに至る経緯を述べたものであつて、その供述は、体験に基づいた自然で合理性に富んだもので、当審における同人の証言とも大筋において符合しているばかりでなく、同人は本件と利害関係のない第三者であり、しかも被害者に特に好意を抱いていたともみられないのであつて、ことさら虚偽の供述をするとは考えられないうえ捜査官の違法な誘導等その供述の任意性を疑わせる証拠もないから前記供述調書の供述内容は十分信用できる。もつとも、Bは右衝突そのものの状況については必ずしも詳細には現認していない面があるが、これは、同人が専ら被害者に注視していたところ、少年は本件五段変速の軽快自転車に乗り、ギヤを最も早く走れる五段目に入れ、かつ剣道の練習でいつもより下校時間が遅くなり早く帰宅して夕食をとりたいと思つて急いで運転してきて、被害者の反対方向から約三〇キロメートル毎時程度(少年の前示運転状況に照らし右自転車の速度は所論のように約一〇キロメートル毎時程度ではなく、少年が家庭裁判所調査官に供述するとおりの前記速度であつたと認められる。)の相当の高速度で無灯火で被害者に急激に接近して衝突したという本件事故の態様によるものであつて、何ら不合理な点はない。関係証拠ことに、Bの当審証言、同人及びEの各司法警察員面前調書並びに司法警察員作成の昭和五六年四月三〇日付実況見分調書二通によれば、被害者は、本件事故直前に本件道路西側(同人の進行方向の右側)外側線から約〇・五ないし約一メートル道路中央寄りの車道部分を○○方面に向つて歩行していたことを認めることができ、原決定中の同人は道路右側端を少年と対面歩行していた旨の部分は、その措辞に若干不適切な点があるとしても、右と同旨の認定をなした趣旨であることが十分看取でき、所論のように証拠によらず推測によつて事実を認定したものでないことは明らかである。次に所論は、本件事故前に他の自動車が被害者と衝突した可能性があつた旨主張するが、Bの前記司法警察員面前調書によれば、前示のとおり所論のような衝突の可能性など全く窺われず、同人の当審での事実取調における証言によつても、本件事故に関し被害者はパトロールカーと衝突したのではないかとの噂があつたというに止り、さらに関係証拠によれば、本件事故当時本件現場付近に他の通行車両はなく、約五〇メートル北方○○寄りの対向車線上に現場方向に近付きつつあつたパトロールカーがあつたのみであること、被害者には頭部以外に顕著な外傷がなく、同人の着衣にもズボンの前チャック右側縫目等が裂けたほか特段の破損部分がないこと、少年の自転車前フエンダー先端部に被害者の右のズボンと同種の繊維が付着していたことが認められることからしても、本件は少年の自転車と衝突したことによるものであり、所論のように本件事故前に自動車等他の車両と同人が衝突していたとは全く考えられない。そして所論も指摘するように、同人は本件事故によつて頭部骨折等の重傷を負つて死亡するに至つたものであるところ、関係証拠によれば、少年は、前記速度で進行中約一・八メートルの至近距離に至つて初めて被害者に気づいてそのまま同人に衝突したものであり、しかも、同人はそれにより平担なアスフアルト舗装道路に仰向けに転倒しているばかりでなく、当時六二年の老齢であつて目が悪くいつも下を向いて歩く癖があり、本件事故直前にビール約一本半を飲んでいたうえ、当時薄暗くて少年が無灯火のまま進行してきたことからすると、被害者は本件自転車に全く気づかず何ら防御の措置を講じることなく衝突され転倒した可能性が大きく。以上の諸点を併せ考えると、被害者の受傷の部位、程度にも特に異とすべき点はない。そして受傷状況に関するその余の所論も、本件事故を目撃していない者の推論に依拠するものや単なる可能性を主張するにとどまるものであつていずれも採用できない。さらに前記(3)について検討すると、原審記録によれば、少年や実母であるS・S子は本件について家庭裁判所調査官の詳細な面接調査を一回受け十分意見聴取されたうえで原審審判期日に出頭しており、原審裁判官は捜査機関から送付された本件事故関係記録のほか右調査結果を含む同調査官の作成した少年調査記録をも検討したうえ、それを前提とし同期日において、少年らの意見を聴取し、さらには本件非行事実が認められる理由を証拠に基づいて説明したのち原決定を告知していることが明らかであつて、原審には所論の指摘する審理不尽の点は何ら存しない。翻つて(1)について検討すると、既に述べたように、被害者は本件道路西側外側線から約〇・五ないし約一メートルの道路中央寄りの車道部分を○○方向に歩行していたのであり、同人が突然歩行位置を変えたことを窺わせる証拠はなく、関係証拠によれば、当時同人を約一五メートル手前から現認できたことが認められることに照らすと、同人を約一・八メートルの至近距離に至つて初めて認めた少年には自車の進路前方の注視を怠つていたという自転車の運転者として基本的でしかも重大な過失のあつたことは明らかである。なお少年の捜査段階以降の供述中には前方約一〇メートルの位置を注視していたとの部分もあるが、これは少年の本件事故前の一般的な状況を述べたにとどまるものと解され、右供述によつて直ちに少年の過失が否定されるものではないから、同供述に依拠する所論は採用できない。論旨は理由がない。

第二法令違反の主張について

論旨は要するに、仮に少年に本件事故に関し何らかの過失があつたとしても、本件事故直後に被害者の治療に当つたF医師が被害者の頭部骨折、脳挫創等の負傷に対する適切な治療を施すことなく漫然と同人を帰宅させたため同人は右傷害に基因する嘔吐物によつて気管支内閉塞を起こしてその翌日死亡したものであつて、少年は右死亡自体については責任を負うものではないにもかかわらず、これを認めた原決定には決定に影響を及ぼす法令の違反がある、というのである。

しかしながら、原審記録を調査して検討すると、関係証拠ことに医学博上G作成の鑑定書によれば、被害者は、本件事故によつて被つた頭部骨折、脳挫創、胸椎第一骨折等の傷害により嘔吐を繰り返して吐物が気管支内を閉塞し原決定のとおり本件事故の翌日自宅で窒息死したことが認められ、本件事故による右の程度の傷害からは死の結果に至ることは通常考えられることであるから、同人の死亡と本件事故との間に因果関係の存することは明らかであつて、少年は本件事故について前記のとおり重大な過失があつたのであるから、被害者の死亡についても責任を負うべきことはいうまでもなく、仮に所論のようにF医師に何らかの治療上の落度があり、そのことも相俟つて被害者が死亡するに至つたとしても、そのことの故に少年の責任が否定されるものではないから、これと同旨の原決定には所論のように法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

第三本件処分の相当性に関する職権判断について

所論にかんがみ、原決定が少年に対しなした処分の相当性に関し職権で調査検討すると、本件は、前方注視を欠いたまま三〇キロメートル毎時程度で本件自転車を進行させていた少年が進行方向の道路左側(西側)外側線から約〇・五ないし約一メートル道路中央寄りの車道部分を対面歩行中のA(当時六二年)を前方約一・八メートルの至近距離に初めて認め、そのまま自車前部を同人に衝突・転倒させ、原決定のとおり頭部骨折、脳挫創等の傷害を負わせ翌朝同人宅において気管支内閉塞により窒息死させたという事案で、少年の重大な過失による事故であつて結果も重大であり、現在まで被害者の遺族との間に示談が成立していないことなどは、少年の処分を決定するに当たり軽視できない事柄ではあるが、しかしながら、本件においては、被害者にも前記のように車道部分をしかも前を十分見ないまま歩行していたという落度がみられ、また同人が十分な治療、看護を受けられなかつたことも死亡を早めるに至つた一因と見うる余地が全くないとはいえないこと、少年は、本件において前方注視を欠いた重大な過失を犯しているとはいえ道路左端に沿つて走行してきており、日頃の本件自転車の運転態度にも特段危険な側面は窺われないこと、少年は、大学に進学する希望を抱いて真面目に学業に励んでいる高校二年生であつて、これまで何らの非行歴もなく、学校から本件直後に三日間の家庭学習を命ぜられ反省の機会を与えられていること、農業を営む両親も少年の教育に熱意をもつており、少年を適切に養育戒護できるものとみられること、本件について前記のとおり示談成立に至つていないものの、少年らにおいて度々被害者の遺族を見舞つてその慰藉に努め、少年の責任が確定すれば両親において進んで示談に努める考えでいることなどの諸事情をも考慮するときは、少年については保護観察所等の機関による特段の保護的措置を講じなければならない程の要保護性を認め難く、従つてこの際は少年を保護観察に付することなく、保護者の指導監督の下での少年の自戒反省に期待するのが少年の健全な育成を期する少年法の目的に合致するものと認められる。したがつて、本件につき少年を保護観察に付した原決定の処分は著しく不当であるから、少年法三三条二項により原決定を取り消し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 千葉和郎 裁判官 香城敏麿 植村立郎)

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